歴史小話 その1

梅原猛が年始めに亡くなりました。93歳でした。

京都大学文学部哲学科の卒業で私が梅原先生に関心を持ったのはかのミリオンセラー「隠された十字架」を読んでからでした。哲学者としての本業の方もさぞかし立派な業績を残されたものと思いますが、その方はさておいて、古代史に関して先生の著された著作が面白くて色々読みました。

先に掲げた聖徳太子についての斬新な発想である怨念と鎮魂による「隠された十字架」、柿本人麻呂について展開された「水底の歌 柿本人麻呂論」「神々の流竄」「法然の哀しみ」等…

一時夢中になって講演会にも随分参加しました。私が感銘を最も受けたのは「水底の歌」でした。柿本人麻呂は言わずと知れた飛鳥時代7世紀末に活躍した宮廷歌人で万葉集にも長歌短歌併せて70数首が記載されています。

柿本人麻呂は生誕地・生年・終焉の地・身分等、謎に包まれています。

この謎については室町・江戸時代から色々推論されていますが、特に契沖や賀茂真淵らの研究が有名です。

近年では斎藤茂吉が懸命に取り組み、柿本人麻呂の終焉の地を島根県邑智郡美郷町にある湯抱鴨山という山峡に比定しました。

斎藤茂吉は明治文壇の大御所でアララギ派の総帥であり、その比定地は決定的に権威づけられました。

これに疑義を抱いたのが梅原猛でその見解は徹底的に万葉集を調べ、関連する文籍又は現地調査と又、先生の思想体系・古代史の怨念をベースとした展開で島根県益田の海辺を終焉の地とし死因を水死刑と結論付けました。

万葉の歌聖と歌われた歌人が何故の刑罰で何故にこの僻地でと興は尽きませんが、何はともあれ現在では柿本人麻呂の終焉の地は益田市とされる様になりました。

是非御一読下さい。本格的なミステリーです。

次の万葉仮名で書かれた短歌、読めるようになったのは江戸時代です。

「東野炎立所見而反見為者月西渡」

是即ち「東(ひむがし)の野に陽炎(かぎろひ)の立つ見えてかへり見すれば月傾(かたぶ) きぬ」です。

芭蕉の「菜の花や月は東に日は西に」の俳句のネタにもなりました。いずれも気に入っています。

 

R1.12.10

株式会社 廣電 代表取締役会長
廣瀬裕平


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